世の中にたえて桜のなかりせば

私の心は穏やかだったでしょうに

第一話 Snow Man結成11周年おめでとう! 第二話 自分語りごめん!

5月3日。みどりの日…いや、こどもの日……と続ければなんとなく語呂も良かった気がするが、残念ながらわたしの趣味で憲法記念日の名を変えるわけにはいかない。ところで今日はSnow Manの結成日らしい。(強引な展開ですね)

 

第一話 おめでとう

Snow Man結成11周年非常に喜ばしい(誰ですか?)一般常識的に祝福する気持ちはあるが、いかんせんこのぽっと出の新規には語れることがない。というか去年10周年だったんだよな。そのころは既に沼にどっぷりハマっていたはずなのに去年の私は何をお祝いしていたんだ?

Snow Manというグループが結成されたのが11年前。ちょうど私がひらがなを読めるようになった頃ですか?それともなわとびが飛べるようになった頃ですか?そんな遥か昔のことに思いを馳せようにも、時が長すぎて遡れないし、ぶっちゃけ感慨深いものは何もない。ただただ今日もSnow Manが諍いなくただただ平穏な時間を過ごし、深澤さんがゲームを思う存分楽しめますようにと願うだけだ。今も未来も、Snow Manが笑って楽しく過ごせますように。

 

 

 

第二話 自分語り

まったく整合性が取れていない話をする。

 

「初回」「最後」「◯周年」「アニバーサリー」など節目や記念に対して漠然とした輝かしいものを感じる。その時その日は、その記念すべき期間が続く間はいつでもどこまでもキラキラしている特別なんだと。これは非常にめでたいことで、お祝いして喜びを分かち合い、今日まで続けてくれた彼らを労い、今後益々のご発展・ご活躍を願う(ビジネス文書か?)なにかを、イラストでも文章でもなんでもいいからどうにかして気持ちを伝えたい。

そうは思うんだけど、実際自分が行動に移す(私の場合はツイッターでつぶやく)と抽象的でどこまでも広がっていきそうなキラキラが急に輝きを失って固体となって私の足元にゴトッと音を立てて落ちる。そんな感じがする。私の文章力が足りないのが当然原因のひとつだと思うけど、そうじゃなくて、空間的に広がるものを別の次元に落とし込もうとするとなにかが失われてしまうと感じる。

節目とか記念の持つキラキラってのは、時間も加味しているから4次元のものですか?文字に起こすと何次元になるんだろう。1?2?そもそも文字に次元なんてあるんですかね。この世に落とし込むという意味では3次元かもしれない。もはや自分でも何言ってるかわからないけど、でもお祝いするたびに、いつも、なんか違うなって思いながらありきたりな文を貼り付けてハッシュタグをつけてるなって。話は飛躍するけど漠然と存在する「オタクとしての型」みたいなのがあって、なんとなくツイッターは息がしづらいなあと思うんですよね。ツイッターがかなり生活と結びついちゃってるのが悪いんですけど。

 

いろいろまとまりを失ってしまったし、結局なにを書きたいのかわからないけどこのままいっちゃいます!えいっ!公開!(後悔するぞ)